栃木は日光東照宮へお参りする朝廷の勅使(例幣使)が通る日光例幣使街道の宿場町として栄え、江戸とを結ぶ巴波(うずま)川=利根川水系渡良瀬川支流=の水運で商業町としても繁栄してきた。
その往時の名残りは重厚な見世蔵や土蔵が巴波川流域を中心に軒を連ねていることで見られ、「蔵の町」として広めている。
栃木は廃藩置県後の明治4年から13年間、栃木県の県庁所在地でもあった。
冒頭の写真は「塚田歴史伝説館」として使われている街並みで、川沿いに長く続く黒塀に囲まれた旧塚田家の壮大な屋敷群である。
塚田家は江戸時代後期から材木廻船問屋を営んできた豪商。
往時は木材を筏に組んで巴波川から利根川を経由し、行きは一昼夜、帰りは三日三晩かけて江戸深川の木場まで運んだという。
なお、日中は天候が良ければ巴波川の遊覧船が運行される光景が見られる。
こちらは「横山郷土館」として使われている街並みで、両袖切妻造の店舗の両側に鹿沼産の深岩石で造られた蔵が並ぶ。
横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた明治期の豪商。
左の蔵が文庫蔵、右の蔵が麻蔵として使われ、いずれも腰周りに岩舟石、軒周りに赤レンガと、防災対策を施している。
こちらは200年前に建てられた土蔵3軒を改修、「とちぎ蔵の街美術館」として利用されてきたが、現在は「蔵の街市民ギャラリー」となっている。
元々は近江商人だった善野家の土蔵で、幕末に困窮人救済事業として多くの蔵を建て、金銭や食糧を放出したことにより「おたすけ蔵」と呼ばれていた。
栃木駅前から伸びる「蔵の町大通り」。
いろいろ撮ったが、そのうち五軒もの店蔵が並ぶ箇所を。